哀愁の正体
今の時期は一年で一番好きな時期だ。
たとえ同じ気温であったとしても春のそれよりも秋のこれの方が遥かに好きだ。
だからこの気温だけが僕が秋を好きにさせてる理由でないことは確かだ。
考えてみれば僕は朝日よりも夕陽が好きで、その終わりゆく儚さがあるがゆえ、いとおかしだと感じる。
でもなんでだろう。
春や朝日は始まりを告げるものだし、希望に満ちてる感がある。
一方で秋とか夕日ってのはやたら終わりを感じさせるし、間違いなくどこか哀しい表情を帯びている。
なぜだ。
なぜそれでも僕はどうしても秋が好きなんだろう。
実は生粋の根暗野郎なのか、それとも感傷に浸っていたいただのナルシストなのか。。
きっと後者の方が近いものがあるだろう。
けどきっとそれだけではないはずだ。
ただのナルシストで終わらないためにも何か納得のいく理由を探してみよう。
そうだ、あれじゃないか、
きっと終わりは必ずしも終わりじゃないってどこかで知ってるからこの「一時的な終わり」を楽しめているのではないだろか。
陽は沈めばまた昇ると信じてるし、季節もまた巡ると完全に思い込んでいる。
だからある意味秋にも夕陽にも希望は満ち溢れている。
また会えるって分かってるからその別れをある程度は楽しめるし、感謝することができる。
本当に、絶対にこれが最後!って思ってるなら僕は秋も夕陽も別れも何ひとつ楽しめないだろうし、きっとその「終わり」は恐怖でしかないはずだ。
けど僕はそこまで根暗じゃないし、度胸もない。
本当の終わりなんてきっと誰も楽しめたものではないだろう。
結局僕は「また次がある」という甘えと希望のもと、このテンポラルな「終わり」を楽しんでいるに過ぎない。
そうだ、きっとそういうことだろう。
2017.10.05 閉店前の喫茶店にて