必要悪と理想のハザマで
まずは先日沖縄の戦没者追悼式にて中学3年生の女の子が披露した非常にアウトスタンディングなポエムを聞いてほしい
沖縄の自然豊かな美しい光景が眼前に広がるような生き生きとした描写の数々と入念に作り込まれた文章にまず誰もが驚くことだろう
聞いたことのないような言葉を中3の女の子が使いこなしているのを見て己の教養のなさを改めて実感し、恥ずかしく感じさせられるほど
しかし何よりも一番驚いたというか心を動かされたものは彼女の言葉よりもデリバリーで、それは彼女の表情、瞳、声の抑揚、そして彼女の堂々としたその姿勢(身体の姿勢と態度としての)から発せられるポジティブな「印象」だ
子どもらしい純粋さと清さ、パワーがものすごいのと、
きっと沖縄で生まれ育ち、親族の間で語り継がれてきた生々しい戦争体験を幼いころから聞いてきたからこそ培われた平和に対する望みと強い意思が垣間みれた
感動した。中3の女の子に対してこんな畏れ多い気分になったのは初めてかもしれない
こっからが本題だが、彼女のスピーチをYouTubeで見終えて(ここに載せているのではないやつ)、みんながどれだけ賞賛しているのかとコメントを見にいくと、意外にも賞賛ばかりではなく批判的なコメントも散見された
批判的な意見の多くは以下のような理由からだった
・こんなんただの綺麗ごと
・現実は違う
・実際に武力によって今の日本の平和は保たれている
・親に教えこまれたはず(洗脳されているだけ)
みなさんはどう思うだろう、
僕のような単純な中途半端な平和主義者からすればこういった反対意見に対して腹を立て、中3の女の子の純粋な主張も素直に聞いてあげられないのかと呆れ返るのはとても簡単なこと
だから今回僕は一歩引いて、心を落ち着かせながら自分の考えに共鳴するこの子の主張と、それに対する反対意見とをできるだけニュートラルな立場から見てみようと試みた
すると面白い世の法則に気付いたような気がしたのでここで紹介しようと思う
確かに今の世の中は残念ながらこの女の子(相良さんという)が望むような世界ではない
毎年莫大な国の予算が戦力を維持、増強するために費やされている。そしてその戦力が抑止力になっているからこそ、近隣の”危ない”(と決めつけられている)国々が侵略してこないでいるという意見も一理あると思う
米軍がなければ北朝鮮、中国がとっくに沖縄を奪いにきてるよ〜なんてのはよく耳にする話で可能性としては確かにないとは言えない
考えてみるとこういった批判的な意見の人たちは誰もが本来は望んでいる平和などといったぼんやりした理想論を切り捨て、もっと現実的になって現状とリスクに眼を向け、本来はきっと支持したくない方法(ここでは戦力確保であったり、強い国に媚を売って味方につけるなど)をあえて選んでいるということ、
いや、選んで「くれている」、ということ
ここが今日の僕の気付きの一番肝心なところ
人は誰も戦争したいなんて最初から望んでいない(軍事産業で潤う一部の支配層を除いて)
なのに庶民である彼らが平和主義を否定するのは現実を見るシビアな考えと危機感があるから
本来はみたくないところに眼を向けて、ぼーっとしてたら危ないぞーって笛をならしてくれている(時には過度になりがちだが)、そんな汚れ役をある意味買って出てくれているのだ
一方でこの相良さんのような平和主義者たちの頭はお花畑で、見たくない現実から眼を背ける世間知らずのただのおばかさんなのだろうか
僕は全くそうは思わない
平和主義は平和主義でこの世の中において非常に大切な役割を担っている
というのも、もしも相良さんのような平和を切に願う気持ちを持った人がいなくなれば世界は瞬く間に戦争へと突入してしまうだろう。競争がさらに激化し、なんでもあり、完全に戦争でも先にやったもん勝ちな世界になると思う
平和を唱え、戦争や利己主義を糾弾する力がまだ世界にあるからその倫理に逆らってあからさまに他国を侵略したり殺したりする(一部では残念ながらすでに起こってしまっているが・・)ことが比較的しにくい状態、ある意味、ここでも人の凶暴性に対する「抑止力」を生み出しているはずだと思う
国際関係が重視されるなかで一国が暴走して殺戮を行うことはリスクがものすごい
各国がお互い無茶をせずある程度のところで空気を読むような雰囲気の根底には少なからず平和主義的な思考と倫理が影響していると思っている
てな感じで対立しがちな両サイドが持つ役割に眼を向けてみたわけです
平和主義と現実主義、(細かくわければもっと枝分かれしていってしまうのだろうけど、今はこの二つ)この二つの思想が混ざり合って、時に対立し合って、生まれているのが今の日本あるいは世界であって「現状」なんだと思う
このバランスがどっちかに傾けば、もちろんそれ相応の結果が生まれる
今の日本の現状が、このバランスが絶妙に「保たれている」結果なのか
バランスが「崩れてしまっている」結果なのか
その判断は各自ですればいい
必要悪と誰もが望む平和という理想の狭間で今日も世界はどちらか一方に比重を加えながら回っているのだろう