母の目
今日は僕の母について話したい。
母はずいぶん長い間目があまり見えていなかった。
視力が極端に低かったのだ。
そのせいでよく自転車で田んぼに突っ込んだりしていた。
世の大抵の低視力の人たちは眼鏡という今となっては文明とも呼べないくらい当たり前に存在するアイテムに頼るのが常だが、僕の母は違った。
頑に眼鏡だけは掛けなかったのだ。
命の危機に幾度となく直面しても眼鏡だけには頼りたくないようだった。
父も眼鏡を掛けるように何度も忠告し、懇願したようだが効果はなかった。
そんな母が眼鏡を掛けない理由は至ってシンプルなものだった。
それは「余計ブサイクになるから」ということらしい。
僕は母をブサイクだと思ったことはないが母には自尊心が著しく欠落しているようで、そこはもう家族の僕らにも矯正することはできないどうしようもない部分だった。
コンタクトが流行って10年ほど経ってから、相当遅れ気味についに母はこの眼鏡の先を行く文明に手を伸ばした。
ワンデーアキュビューだ。
「眼鏡ではブスになる」という理由ならコンタクトはその悩みを全て解決するくらいの威力があった。
しかし、結果長続きはしなかった。
交換がめんどくさかったのか、つけ心地にに違和感があったのか、
理由はよく知らないが母はコンタクトを間もなく使わなくなってしまった。
結局見えることをそこまで望んでいなかったのかもしれない。
また田んぼに突っ込んで骨を折る日々の始まりだ。僕ら家族にとってはまたヒヤヒヤの毎日の始まりだった。
一方で、僕は一度だけ母の目があまり見えていないことを心から有り難く思ってしまった経験がある。
それは僕に初めて彼女ができた中学の頃の話だ。
うちの中学では付き合いが成立した瞬間に男は彼女を毎日家まで送ってあげることが義務づけられるような雰囲気があった。
もし家まで送ってあげないとしたらそれはむしろ付き合っているとは認定されないような気さえした。
みんな徒歩通学だったことも考えると、この「義務」に費やす時間と労力は計り知れない。
まあでも自分の惚れた女の子と一緒に歩いて帰る時間は誇らしく、常に胸が躍るような経験だったことは確かだ。
中学の頃の僕は自分の親に彼女ができたことなど絶対に知られたくないタイプの男子だった。
その絶対のレベルは恐らく他の誰よりも強いのではないかというくらい深く真剣に知られたくないと願っていた。
別に付き合いを禁止されていた訳でもなかったがとにかく嫌で嫌で仕方なかったのだ。
今考えると不思議でなんでそこまで知られたくなかったのか理解に苦しむが、確かに知られることをえらく恐れていたのははっきりと覚えている。
それほど大きな「秘密」を抱えながら彼女と一緒に歩いて下校することには言うまでもなく明らかなリスクが伴った。
しかも彼女の家までのルートは母が愛用しているスーパーの近くを通らないといけないとう情け容赦のない道のりだった。これをほぼ毎日行うなんていわばミッションインポッシブル、いや、ミッションインポッスィボーだ。
そんな恐怖と隣合わせの状態で数ヶ月の間僕はこのミッションインポッスィボーを遂行し続けるという離れ業をやってのけていた。
「なーんだ、案外会わずにいけるもんだな」と油断と慢心が僕の心に入り込んできていたその日もいつも同様に大好きな彼女を家まで送るという、その頃の僕には他の何にも増して重要な使命を果たしている最中だった。
突然最も恐れていた光景が僕の目に飛び込んできたのだ。
母が前方何十メートルか先から自転車に乗ってこっちに向かってきているではないか。
母と違って僕は果てしなく目がいいので、普通の人よりもだいぶ早い段階で遠くの人物を認識することができる。
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これは余談だが
僕の目の良さときたら異常なほどで、
高校の頃腕に顔を乗せて机に伏せていた時に起きたことだが、
うっすら目を開けると自分の制服のブレザーを繊維、あるいは分子レベルで確認することができた。
顕微鏡でみるあの映像となんら遜色ないくらいの精度で繊維と繊維が絡み合い、織りなす芸術を楽しむことができたのだ。僕は寝たふりをしながら眼前に広がるミクロの世界を5分ほど堪能した経験がある。
これは僕の目の良さを語るほんの一例にすぎない
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母が迫ってくるのに気付いた時ぼくは反射的に近くに曲がり角がないか探した。
しかし運は僕に味方してくれなかった。母が自分たちの場所に到達するまでの時間で身を隠すことのできる場所はどう見てもなかった。
おしまいだ。
ついにバレる。僕にかわいいかわいい彼女がいることがついに母に、そして家族にもバレてしまう。
くそ、、、もうどうにだってなれ。
そんな諦めと絶望を噛み締めた瞬間、遂に悠然とチャリを漕ぐ母が僕と彼女の真横を通り過ぎる。
通り過ぎる瞬間母は僕たちに向かって小さな声で「こんにちはー」と挨拶をしてきた。
最も恐れていたことが突然現実となり僕は心の整理をつけようと必死だった。
振り返ることもできず、僕はただただ通りすぎた瞬間の母の様子を何度も脳内で巻き戻し再生した。
ぼんやりとこっちを見つめながら、えらい小さな声で「こんにちはー」
確実にこっちは見ていた、しかし目の焦点がしっかりと僕を捉えていたようには思えないような視線。
もし僕がスーパーサイヤ人だったら母のあの時の目は僕自身を見ているというより僕の周りのメラメラした、シュインシュインと音を立てるあの黄色いオーラを見ていたようなぼんやりとした視線だった。
え、、、ちょ、待てよ、、
今度は母の視線ではなく僕のこの耳で得た情報を検証してみる
なんだか自信なさげに心なく、消え入るような「こんにちはー」が再び聞こえてくる
再生が終えた瞬間僕の精神は蘇り、道を行く足には喜びと活力がみなぎる。
分かる!
息子の僕には間違いなく分かる。
小さな声で「こんにちはー」と、つぶやくように言うあの感じだ!
母がどこのだれにでも言うあれだ。
知り合いとか友人に対してではない(無論、家族に対してでもない)ただの日本人としての、あるいは町内の人間としての義務から発せられるあの空っぽの「こんにちは」なのだ!
そう、母は僕に気付かなかったのだ。
母からするとただ自分の家とは反対方向に帰っていく息子と同じくらいの中学生に向けて「こんにちは」と言っただけだったのだ。
しかしまだ確証は得られず半信半疑の状態でその日は帰宅した。
さっきの息子という他人に発した「こんにちは」からは想像もつかないような明るく温かい声で「おかえりー」といつも通り迎えてくれる。
その後の母の態度や振る舞いも全くいつもと変わらないことから疑いはすっかり胸から消え、僕の完全犯罪は確実なものとなった。
その日ほど母の低視力に感謝したことはない。
そんな母もついに最近レーシック手術を受け以前の視力0.02くらいから1.5近くまで回復させることができたようだ。
そして今年の夏、僕は母が手術して初めて帰省した。
久しぶりに息子と再開し、とても嬉しそうな母の姿を見てふと思う。
母さん、もしかして、、、
今初めて僕の顔を知ったのかな。。。