ばさし’s blog

日々感じた事を記す。それは自分のためであり、あなたのためでもある。

How ungrateful I was...

ハローみなさん

 

このブログを見てくれている根強い僕のファンがどれくらいいるのかはあまり分からないけど

 

少ないからず30人くらいはいると見ている

(ブログではアクセス数だけは見ることができる。しかし中には僕の熱烈なファンが複数回閲覧しているはずなのでアクセス数=見た人の数だとはもちろん思っていない。アクセス数の70-80%くらいかなと踏んでいる)

 

この30人という数字は僕がこのめんどくさいブログをなんとか継続するために必要なギリギリのモチベーションを与えてくれている

 

これがもしもいつもアクセスが10とかくらいしかなければ、とてもじゃないけど多くの時間を費やして言葉を捻り出そうとは思えないかもしれない

 

何が言いたいのかというと、やっぱ何かやり甲斐を感じないと物事は継続できないということ

 

もしもこのブログをただ自分の日記とか記録として書いているならどれだけの人が見ているかなんて関係ないし、ただ将来のために自ら書いて満足できるのだろうけど、僕の目的はそういうことではない

 

僕の書く文や僕の見るユニークな世界観(自分だけのという意味でユニークと表現している)を一人でも多くの人に共有して楽しんでもらうというところに目的を置いている

 

だから何人が見てくれているかという数字は僕が自分の目的をどれだけ達成できているかを示す重要な指標となっている

 

やり甲斐に関していつか妻と僕との間で勃発した喧嘩がとても大切な教訓を教えてくれたので今日はここで共有したい

 

妻は専業主婦で、毎日まだ保育園にも行っていない幼い娘と付きっ切りで、家事をしてくれている

 

僕は平日は毎日朝8時ごろ家を出て、夜7時前に帰宅する

 

ある日妻は僕があまり妻のしていることに感謝を示さないことに不満を漏らした

 

お互いの言い分があり、ある程度の言い合いにまで発展した

 

僕の言い分はこうだった

「僕は夫として毎日働いて家族を養い、責任を果たしている。別に僕は毎日妻から

今日もお疲れ様、働いてくれてありがとうなどと言われなくても全然不満はないし、それでいいと思う。だって働くのは僕の責任だから」

「妻は専業主婦として娘を育て、ご飯を作ったり家事をするのが責任だし、それをしたからといってそんなに賞賛されたり、感謝されるべきではない」

「ただ夫婦は二人で全く違う責任を分担しているだけなのだから、その責任を果たす中で自分で満足していけばいいじゃないか」

 

自ら書いときながら酷い言い分だなと恐いくらいだが、確かこんな感じのこと言ったと思う。

言ってしまった

 

そのあと妻がすごく悲しみと怒りに満ちたような顔でこう言い返してきた

 

「あなた(実際はあなたとは言っていないが)は自分で仕事を頑張れば上司や周りに評価して貰えるし、感謝される機会はいくらだってあると思うけど、私がすることはあなたにしか分かってもらえないんだよ?」

 

この言葉を聞いた時、自分がどれだけ冷たく、思いやりのない浅はかな人間なのかと情けない気持ちになった

 

そうなんだ

妻がやることは全て僕や家族のためで、それ以外には何もない

 

にも関わらず僕はそんな妻に対して

いちいち感謝を求めるななどと言ってしまった

 

僕は完全に間違っていた

 

人が何かする時には必ず動機があり、継続するにはモチベーションが必要

 

誰かに認められることが必要

 

当たり前のこと

 

妻が家のことをよくしてくれるには僕の何気ない感謝の言葉だったり、ただ「美味しい」という言葉が必要のようだ

 

しかもそれ以外とくに何も求めない妻のけな気で無私な姿勢はどれだけ偉大で尊いものだろうか

 

僕はそんな妻に一生感謝をしていくという特権にあやかっている